臼杵石仏は現在七ヶ所に散在し、大・小六十余体が現存している。
集中的に多数の磨崖仏が造られ、木彫を思わせるような丸彫に近い肉厚で、その美しさ、規模の大きさなどの点で、日本にはここだけしか拝むことはできない。学者の間でも、日本最高のものとして高く評価されている。さらに、珍しいのは、仏像の刻み方と組み合わせ(配列)で、1,200年から1,400年余り昔の謎が秘められている。確たる文献が残っていないために、誰がいつ造ったか明確なる結論はでていない。
多くの先生方も日本の歴史、仏法伝来の歴史、木造文化に比較した刻み方、様式、信仰など、いろいろな面から研究、推測し、平安の中期・末期・鎌倉・室町時代など、いろいろの説がある。全部が重要文化財の指定を受けながら、確たる歴史として書くことができない。どの先生の説を採用すべきか、という問題もあり、またここの石仏は日本宗教の解釈からも完全に説明し尽くせない。
現実にここに石仏が実在していながら、製作年代すらはっきり出来ない以上は、地方の言い伝えを深く掘り下げてみるべきではないだろうか。「火のないところには煙はたたない」という諺もあるように、伝説もまた「火」ではないか、と私は考える。
臼杵石仏は、単なる伝説だけでなく、仏教文化の中における石造文化のナゾを解く手がかりになるであろうとも思っている。
石仏は、何宗、何派ということを教えるのではなく、仏法とは何か、仏とは何かを説いている(語りかけている)のではなか。
なにも知らない人々に新しいことを教えるためには古代も、現代も同じだが、特に古代の事は言葉だけでは十分理解できない。そこで人々によりよく理解させるため、当時は絵や文字に頼らざるを得なかったであろう。各国の古代文化はみな絵文字のような形で残っている。
当時の臼杵は地理の面や海流の面から考えても、入り江は深いし島は多い(臼杵の七つの島の名前が今も残っている)。臼杵は当時、豊後水道の中で一番の良港だったと思われる。歴史的に見ると新しい文化というものは海を通じて外国から入って来ている。山の方からは余り伝わっていない。
ところで、仏法は釈迦が説いたもので、釈迦なくして仏法はありえない。
釈迦の教えは一切衆生、生きている人を救うために、法を説き一切衆生は遠い過去から遠い未来にかけて精進せよと言われている。「地獄、極楽は西にもなければ東にもなく来た(北)道さがせ皆身(南)にぞある」と説いている。
心臓の鼓動は今現在の一回だけが現在、この現時点で良し悪しを判断して悪いと思った事は二度と繰り返さず、良いことには、未来へ精進せよ。「火の車 造る大工はなけれども 己が造り己が乗り行く」全て自分自身で分別をわきまえて精進せよと説いている。
人間の三代儀式を忘れるな、誕生式があったら必ず結婚式に向かって、そしてそれがすんだら何式か。もう一つしか残っていない。葬式である。これが人間の一生で人間は、童子、青年、壮年、老年時代へと寸時休まず進んでいる。これらの意味が分かるように臼杵石仏は配列されている。
貴族とか一般庶民などを区別して説かず、人・天・餓鬼・畜生・草木にいたるまで皆平等に救うために一切・我等興衆生・皆共成仏道といっている。
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