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01 はじめに
02 臼杵石仏の由来  (真名野長者伝説)
03 謎を秘める現存 60余体の石仏たち
04 参拝順序は
05 紫雲山満月時
06 蓮城法師と 長者夫妻の像
07 仁王像
08 宝筐印塔(日吉塔)
09 化粧の井戸
10 炭焼窯
11 古園石仏
12 山王山石仏
13 堂ヶ迫石仏  (青年期)
14 堂ヶ迫石仏  (壮年期)
15 堂ヶ迫石仏
16 地蔵菩薩と地獄十王
17 ホキ石仏(老年期)
18 九品の弥陀
19 臼杵石仏 全体を眺めると 
20 臼杵石仏の 本尊の概要
21 石仏火祭り
22 参考資料〈年表〉
23 御礼にかえて



 
古園石仏大屋根と石仏公園



御礼にかえて
 臼杵石仏の仏像の配列の意味、人生の三大儀式の意味、釈迦の教えは何であったか。
 親は子供の鏡、子供は親を信じているから、親の行いを見ながら育ってゆく。
 学校は文(字)を学び集団生活を教えてもらう所、家庭は道徳を学び、教える所である。学校と家庭とは両立しなければならないのに教育ママ、教育パパとなり、道徳については考えず、子供の頃から塾に通わせ、家庭教師をつけ、何でも一流を目指す。
 幼稚園、小・中学校、高校、大学と血まなこになって育てた子供に多くの知能犯などが出てくる。親は一流の教育を受けさせているからと安心しており、何か事がおきるとうちの子に限って・・・・・・・と言われる場合が多い。
 親は子供の前性で、子供は親の未来生。母親の胎内にいる時は「へそ」でつながっているが、現世に出ても同じと考えられる。
 
 霊は永久不滅である。肉体は霊の一夜の仮の宿、着物に過ぎない。「へそ」は体の中心にあり、全ての基本であることを物語っている。
 嫁と姑の問題が良く世間で言われるが、嫁を強化できない息子に育てた親の顔が見たいとの諺もある。昨今、親の会話の中に「私は、子供の世話にならない」「子供はのびのびと育てたい」などいかにもしたり顔で語られる。
 また子供のため、子供のために、と親は食べるものも着るものも辛抱してウマウマから幼稚園、小、中、高校、大学そして嫁をとり、さらに住家までも建ててやる。年をとり、余生を楽しく送ろうと思ったやさきに養老院行きをしいられる。誰のおかげだと思ってみてもすでにおそい。子供の世話にならぬなどといって育てた子供が、親の考えを忠実に実行しただけのことである。
 どこの家庭でも、多かれ少なかれこんな問題がある。したがって、「この石仏は青年、壮年、老年時代まで、分別をわきまえて我欲をすて、正しい欲を持ち、日々未来に向かって精進せよ」と語りかけていると私は信じ生きている。いや生きていこうと努力している。”はじめに”のところでも述べたが、名もない一人の人間が、ただ石仏と共に生活させて頂いたということのみでこのような冊子をえらそうに書きしるした訳だがはずかしい限りである。まだ、ここ深田の里にまつわる数々の地域名・苗字・出土品などいろんなことがたくさんある。しかし、それらのまとめをするすべもなく、ただ脳裏に映る思いをもとに重ねながら今も石仏案内を行っている日々である。本冊子を発行するにあたり、重ねてお許しを願うと共に、皆様の御指導御鞭撻を節にお願いするものである。
―合掌―
文: 宇佐美 昇

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著者 故・宇佐美昇は父の後を継ぎ半世紀以上、石仏の案内人を勤め 深く臼杵石仏と関っていくうちに物言わぬ石の仏たちが建立から永いときを経てもなお私たちに語りかけているそのかすかな呟きを感じ・考え・書きとめてきたものです。この本は昭和61年に書かれたものです。この本を書いた当時とは現在時代背景など大きく変化しておりますが。著者の意向を尊重して、ほぼ手を加えず原文のまま公開しております。

 
きょうぜん うさみ   usuki sarayama ツイートする
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