sekibutu kankou center.com








01 はじめに
02 臼杵石仏の由来  (真名野長者伝説)
03 謎を秘める現存 60余体の石仏たち
04 参拝順序は
05 紫雲山満月時
06 蓮城法師と 長者夫妻の像
07 仁王像
08 宝筐印塔(日吉塔)
09 化粧の井戸
10 炭焼窯
11 古園石仏
12 山王山石仏
13 堂ヶ迫石仏  (青年期)
14 堂ヶ迫石仏  (壮年期)
15 堂ヶ迫石仏
16 地蔵菩薩と地獄十王
17 ホキ石仏(老年期)
18 九品の弥陀
19 臼杵石仏 全体を眺めると 
20 臼杵石仏の 本尊の概要
21 石仏火祭り
22 参考資料〈年表〉
23 御礼にかえて



 
満月寺境内にある蓮城法師座像




 満月寺の横の高台に祠があり、この祠の中に丸彫の単独石像が三体ある。この三体が伝説の主人公で、左の像が中国の天台山から渡来した蓮城法師。頭が平たく、ほほ骨が高く、小鼻穴が特に大きく、耳は目よりも半分以上も高いし、体の幅と膝前幅が同じで足が短い。人類的には蒙古人種系思われる。
 中央は炭焼古五郎の像で、これも蓮城像に骨格がよく似ているところから、北方の中国人であると思われる。ところが右の玉津姫は、日本的な形で頭が丸く、耳も目の高さで、目じりも下がっている、女性だから膝前幅が小さいはずが足が長く、三人の内で一番広い。三人とも伝説の通り人種が異なることがわかる。もし、後世の人が三人について想像して刻んだとすれば、当然日本人の特徴が出て、同じ形になるはずである。
 ところが前述の通り、同じ骨格は一体もなく、みごとに人種の違いまでも刻み上げている。
 三人をよく知っていた人が刻み上げたことが想像できる。
前ページ 次ページ

 
著者 故・宇佐美昇は父の後を継ぎ半世紀以上、石仏の案内人を勤め 深く臼杵石仏と関っていくうちに物言わぬ石の仏たちが建立から永いときを経てもなお私たちに語りかけているそのかすかな呟きを感じ・考え・書きとめてきたものです。この本は昭和61年に書かれたものです。この本を書いた当時とは現在時代背景など大きく変化しておりますが。著者の意向を尊重して、ほぼ手を加えず原文のまま公開しております。

 
きょうぜん うさみ   usuki sarayama ツイートする
copyright© sekibutu kanko center all right reserved.